2017年3月14日火曜日

名古屋女子マラソン:安藤友香初マラソン日本最高記録

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● 安藤友香初マラソン日本最高



名古屋女子マラソン:
順位 タイム 氏名 年齢 所属・国
1: 2:21:17  E.キルワ 32  バーレーン
2: 2:21:36  安藤 友香 22  スズキ浜松AC
32:23:47  清田 真央 23  スズキ浜松AC
42:26:09  桑原 彩 23   ヤマダ電機
5: 2:27:35  石井 寿美 21  ヤマダ電機



東洋経済オンライン 2017年03月17日 酒井 政人 :スポーツライター
http://toyokeizai.net/articles/-/162983

「脱・駅伝」スズキが見せたマラソンの可能性
女子マラソンに差し込む明るい光

 マラソンシーズン中、つねに暗い顔をしていた日本陸連の瀬古利彦長距離マラソン強化戦略プロジェクトリーダーが“最後のレース”を終えて、ようやく笑顔を見せた。
 「今日は大ハッピー! 張本さんでいえば、大あっぱれ! よくやってくれた」
と絶賛したのが、名古屋ウィメンズマラソンで快走した安藤友香(スズキ浜松AC)だ。

■東京五輪のヒロイン候補として注目

 安藤は日本歴代4位の2時間21分36秒をたたき出して、初マラソン日本最高記録を更新。
 ロンドン世界選手権の派遣設定記録(2時間22分30秒)を突破して、日本代表が内定した。
 リオ五輪銀メダリストのユニスジェプキルイ・キルワ(バーレーン)に食らいつくレースは、2020年東京五輪の“大活躍”を予感させるものだった。

 名古屋は2つのペースメーカーが用意され、ファーストは中間点を1時間11分00秒前後、セカンドは1時間12分00秒~30秒で通過する予定だった。
 セカンドのレースメークは、日本陸連が「強化対策」として設定。
 1月の大阪国際と同じで、前半は抑えたペースで入る「ネガティブスプリット」のなか、後半にどれだけペースアップできるかを意識させるものだった。
 キルワを追いかけた安藤は、中間点を1時間10分21秒で通過。
 日本陸連の思惑を無視するかたちでレースを進めて、瀬古リーダーを大喜びさせたことになる。

 レース後のインタビューで、「ここで戦えないと世界で勝負できない」と安藤は、先のことを考えずに突っ走ったことを明かした。
 好タイムには、「実感がない」と驚きながらも、
 「終盤はついていくことができず、自分の弱さが出たなと思っています。
 今のままでは(世界と)戦えないので、また練習を頑張ります」
と反省を口にしていた。
 安藤の“目線”は、日本陸連が定めた場所よりも数段高かった。
 初マラソンで東京五輪のヒロイン候補として注目を集めた安藤だが、陸上界では高校時代から知られた存在だ。
 豊川高校では全国高校駅伝に3年連続で出場。
 2年時(2009年)と3年時(2010年)にはチームの主軸として活躍し、連覇を果たしている。

 高校卒業後はチームミズノアスレティックに所属して、母校・豊川高校で練習を続けたが、2年で時之栖へ移籍。
 その後、2014年に現在所属するスズキ浜松ACへ移った。
 環境が変わるなかでも確実に成長して、昨年3月の世界ハーフマラソンでは日本人最高の10位に食い込んでいる。
 そして、初マラソンで衝撃デビューを飾った。
 下げ気味にした腕を振らない“忍者走り”は高校時代から変わらないが、サングラス姿の彼女は大人っぽくなった。

 名古屋では、安藤と同学年のチームメートである清田真央も中間点を1時間10分46秒で通過。
 2時間23分47秒の好タイムで3位に入り、ロンドン世界選手権の代表入りが確実だ。
 スズキ浜松ACに所属する選手が大躍進したわけだが、そこに日本がマラソンで活躍するためのヒントがあるのかもしれない。
 なぜなら、スズキ浜松ACは企業を母体とするチームでありながら、
 実業団連合に加盟していない珍しいチームだからだ。

■実業団駅伝に出場しないスズキの目標意識

 スズキは女子実業団駅伝の冠スポンサーを務めるなど、昔から陸上競技と深くかかわってきた。
 全日本実業団男子駅伝(ニューイヤー駅伝)には40回の出場歴を誇る。
 しかし、2010年3月に実業団連合を退会して、陸上部をクラブ化。
 「スズキ浜松アスリートクラブ」として再出発している(以前のチーム登録名は「スズキ」だった)。

 単にチーム名が変わっただけでなく、実業団連合を脱退したことで、実業団連合が主催する大会に出場することはできない。
 ほかの社会人チームが「全日本実業団駅伝」を最大目標とするなかで、スズキの社員アスリートは別の目標意識をもって、競技に取り組んでいるのだ。

 駅伝がマラソンに悪影響を与えているのでは? 
 という意見も少なくないなかで、駅伝をしないチームがマラソンで結果を残した。
 これは日本マラソン界の未来を考えるうえで、ターニングポイントになるのかもしれない。

 駅伝をしないチームでいうと、廃部前のエスビー食品がそうだった。
 実業団連合に加盟しながら、会社方針で実業団駅伝には参戦しなかったものの、マラソンに挑戦する選手は少なかった。
 むしろ、上野裕一郎、竹澤健介ら主力選手は、都道府県駅伝や国際千葉駅伝に出場するなど、別のユニフォーム姿で駅伝を快走していた。

 しかし、スズキ浜松ACの場合は大きく異なる。
 男子は現在所属している長距離9人中、全員がマラソンを経験。
 女子長距離(現在6人)は3000メートル障害をメーンとする三郷実沙希以外は24歳以下ということもあり、マラソン経験者は清田と安藤だけだが、若いふたりが世界へ羽ばたこうとしているのだ。
 長距離以外の選手も全日本実業団選手権には出場できないが、村上幸史、右代啓祐、中村明彦、新井涼平、川元奨、海老原有希など、スズキ浜松ACには、世界大会に出場経験を持つ選手が所属している。
 「世界」を目指すことに特化したスケールの大きなクラブチームといえるだろう。

■安藤は“金メダルルート”に乗れるのか!?

 名古屋で初マラソン日本最高記録&日本歴代4位の2時間21分36秒をマークした安藤友香は、2020年東京五輪での活躍が期待される選手だ。
 現在の力では、3年後の「メダル」に届かないかもしれないが、今後さらに成長する可能性は十分にある。
 そこで、高橋尚子(シドニー五輪)と野口みずき(アテネ五輪)がたどってきた“金メダルルート”と比較してみたい。

 高橋は大学卒業から2年目となる1997年1月の大阪国際で初マラソン(2時間31分32秒)を経験すると、翌年3月の名古屋国際で日本最高(当時)の2時間25分48秒、同年12月のアジア大会でアジア最高記録・世界歴代5位(当時)となる2時間21分47秒とタイムを大幅短縮。
 2000年9月のシドニー五輪で金メダルに輝き、翌年9月のベルリンで2時間19分46秒の世界最高記録(当時)を樹立した。

 野口は高校卒業5年目となる2002年3月の名古屋国際で初マラソンに挑み、2時間25分35秒で優勝。
 翌年1月の大阪国際で2時間21分18秒の日本国内最高記録、同年8月のパリ世界選手権で銀メダルを獲得するなど、着々とキャリアを積み上げた。
 そして、2004年夏のアテネ五輪で金メダル。
 翌年9月のベルリンで世界歴代3位(当時)&アジア記録の2時間19分12秒をマークしている。

 安藤は野口と同じく高校卒業5年目でマラソンに初挑戦。
 デビュー戦は野口のタイムを約3分上回ったが、野口と高橋は2戦目に記録を大幅に伸ばして、3戦目は国際大会で活躍した。
 安藤の場合は2戦目が世界選手権になるため、ロンドンではトップ集団でレースを進めて、世界レベルのレースを経験しておきたいところ。
 その次のマラソンでタイムを短縮して、2年後のドーハ世界選手権でメダルを獲得することができれば、金メダルルートに乗れるかもしれない。

 名古屋で安藤が好タイムを刻んだことの、女子マラソン界への波及効果は大きそうだ。
 マラソンで2時間22~23分台のタイムを持つ前田彩里(ダイハツ)と小原怜(天満屋)。
 昨年のリオ五輪にトラック種目で出場した鈴木亜由子(日本郵政グループ)、関根花観(日本郵政グループ)、上原美幸(第一生命グループ)など、東京五輪を30歳以下で迎えることになる26歳以下の世代には楽しみな選手が多いからだ。
 トラックで安藤以上の走りを見せてきた彼女たちが、「私もできる」とプラスにとらえてマラソンに挑戦することで、さらなる好タイムが続出する可能性もあるだろう。
 明るい光が差し込んできた女子とは違い、日本の男子マラソンは壊滅状態だ。

■ロンドン世界選手権の代表選考は20年前の水準

 男子マラソンの最終選考レースとなったびわ湖では、日本勢で2時間10分を切る選手が現れず、瀬古リーダーは「大喝ですよ!」と嘆いていた。
 振り返ると、日本人で派遣設定記録の「2時間7分00秒」という目標を掲げていた選手はいなかった。
 有力ランナーは、「2時間8分台で日本人トップになれば日本代表になれる」と考えていて、その“先”を見つめているような感じはしなかったのだ。

 そうした考え方がレース運びにもあらわれていたと思う。
 日本人の最高タイムは、高速コースの東京で日本人トップとなった井上大仁(MHPS)の2時間8分22秒、2番目は福岡を走った川内優輝(埼玉県庁)で2時間09分11秒。
 ふたりはロンドン世界選手権の代表が確実な状況で、最後のキップは別府大分を2時間9分32秒で制した中本健太郎(安川電機)が有力視されている。
 しかし、世界大会で「2時間8分台1人、2時間9分台2人」という代表選出は、20年前の水準とさほど変わらない。
 その間に世界のメジャーレースでは、2時間3~5分台が当たり前のように出ている(日本勢は2時間6分台すら14年以上も出ていない)。

 男子がオリンピックでメダルを手にしたのは、バルセロナ五輪で銀メダルを獲得した森下広一(現・トヨタ自動車九州監督)が最後。
 東京五輪でメダルをゲットすることができれば、28年ぶりの快挙となるが、今のままでは「メダル」への期待はゼロに近い。

 森下は1991年2月の別府大分で初マラソン日本最高(当時)の2時間8分53秒をマーク。
 翌年2月の東京国際を制して、同年8月のバルセロナ五輪で銀メダルに輝いた。
 わずかマラソン3戦でオリンピックの「メダル」に到達している。
 日本勢が東京でメダルを獲得するには、森下路線ともいうべき、“短期上昇型”の選手で勝負していくしかないだろう。

 森下は1回目のマラソンで2時間8分台。
 当時の世界記録が2時間6分50秒(現在の世界記録は2時間2分57秒)だったことを考えると、現在なら2時間4~5分台の価値がある。
 東京五輪でのメダルを本気で考えるなら、少なくとも本番までに、「2時間4~5分台」の記録を出しておかないとメダルは非現実的だ。

 2時間7~8分台の実力でメダルを狙えるような時代は、10年以上も前に終わっている。
 その現実から目をそらしてはいけない。
 では、2時間4~5分台でどう走るのか。
 1万メートル28分台のスピードでは、2時間5分台を出すのは難しい。
 逆算的に考えると、今回の東京で設楽悠太(Honda)が見せたように、中間点を1時間2分00秒前後で通過できるようなスピードランナーが本格的にマラソン参戦するしかない。

 この3年間で1万メートル27分50秒を切っている日本人は、設楽悠太を含めて、佐藤悠基(日清食品グループ)、鎧坂哲哉(旭化成)、大迫傑(NikeORPJT)、村山謙太(旭化成)、村山紘太(旭化成)、大六野秀畝(旭化成)と7人いる。
 彼らのスピードに期待するか、マラソン2戦目で2時間9分台をマークした服部勇馬(トヨタ自動車)、社会人1年目で充実のシーズンを過ごした神野大地(コニカミノルタ)ら急成長の可能性がある23歳以下の若手に未来を託すしかないだろう。

 期待感の出てきた女子と、低迷から抜け出せない男子。
 東京五輪は2020年夏に開催されるが、その選考レースは2019年11月~翌年3月に行われる。
 あと2年半ちょっとの間にどこまでタイムを短縮できるのか。
 メダル獲得を考えると、残された時間は本当に少ない。



サーチナニュース 2017-03-14 15:12
http://news.searchina.net/id/1631269?page=1

心肺停止者3人を全員救った、
日本のマラソン大会のバックアップ体制=中国メディア

 12日に行われた名古屋ウィメンズマラソンで、参加していた女性ランナー3人が一時心肺停止状態になるアクシデントが発生した。
 幸い3人はいずれも速やかな救命処置によって心拍と意識を取り戻した。
 中国メディア・澎湃新聞は13日、マラソン大会における応急体制について、中国国内が学ぶべきであるとする記事を掲載した。

 記事は、日本のマラソン大会でも中国と同様に心肺停止になるアクシデントがしばしば発生すると紹介する一方で「イベントの医療保障措置、応急体制がこのようなアクシデントによる突然死を防いでいるのだ」とした。
 そして、実際に同大会から招待を受けて救援サポートを実施した中国企業・第一反応の陸楽CEOが当時の状況について
 「選手が倒れてから救急車に乗せるまで、救急措置の全過程が5分足らずで完了した」、
 「現場には6人の救護スタッフがいた。
 応急チームは専門性が高いうえ、ランナーのプライバシー保護にも非常に気を配っている」
と感想を語ったことを伝えている。

 そして、日本のマラソン大会における救急体制の充実ぶりについて、機器の充実、作業の細分化という2点から紹介。
 機器については42.195キロのコースに計140個のAEDが置かれ、各救急チームにも小型の酸素ボンベが配されていたとし
 「これほどの物的投入は、国内のマラソン大会ではまず見られない」
と評した。

 また、作業の細分化については、1万9000人のランナーに対して医療スタッフが1000人集められ、それぞれ異なる職場からやって来るスタッフが大会組織委員会による統一的な要求や手順を厳格に守ってオペレーションを行うと説明している。
 さらに、第1回から10年間死亡事故ゼロを続けている東京マラソンでも、AED台数の増加や「自転車救急チーム」の配備といった安全保障体制の充実を絶えず進めていることを紹介した。

 記事は
 「国内の多くのマラソン大会は、より科学的かつ綿密な医療保障体系を作る必要がある。
 そうすることで初めて悲劇を減らすことができるのだ」
と締めくくった。
 中国でも近年マラソンブームが起きており、各地でさまざまなマラソン大会が催されるようになった。
 組織者側の安全面に対する配慮ももちろん大事だが、マラソンという過酷なスポーツに挑む市民の安全や健康に対する意識向上も欠かせない。