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ニューズウイーク 2016年8月17日(水)20時33分 ジェーン・マカダム(豪ニューサウスウェールズ大学教授、専門は国際難民法)
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/08/post-5669.php
希望のない最小の島国ナウルの
全人口をオーストラリアに移住させる計画はなぜ頓挫したか
How the Entire Nation of Nauru Almost Moved to Queensland
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgVReZS3TCFzqBWjpCMM2YOLqu1ygXL7ZQqgf5ZvI2Dkkpc8zV-Lmgz6BIctfNb_3n88uhzs4si2NmeY5n8aGvjtaET1zBJ5T9x3gyanwA7xPMcshCWZWGbwLh0z8sIlJDcI45jT42o66k/s640/nauru-thumb-720xauto.jpg)
● (写真は2001年、オーストラリアなどの先進国が資源を掘り尽くした後、農業もできなくなったナウルの土地)
オーストラリアはこの小さな島国に金で難民を引き取らせ、劣悪な環境にも見て見ぬふりをしていると非難される。
しかしそのオーストラリアも、、自らの資源採掘で不毛の地と化したナウルを全戸移住で救おうとしたことがあった。
計画はなぜ頓挫したのか。
それは、ナウルと同様、海面上昇による水没の危機に危機に直面する南太平洋の島々にも重大な教訓を投げかけている>
南太平洋の島国ナウルは、面積約20平方キロ、人口約1万人の世界最小国の1つ。
オーストラリアでは、インドネシアなどを経由して豪州沿岸を目指す
ボート難民が強制的に移送される太平洋の島国として有名だ。
移送しているのは豪政府で、ナウル政府には難民受け入れの代償に大金を払っている。
ナウルでの難民の環境は劣悪で、オーストラリアでも問題になってきた。
だが豪政府が1960年代、自国の島の1つにナウルの全世帯を移住させる計画を進めていたという事実はあまり知られていない。
難民収容所の職員による児童虐待や性的暴行など、難民が劣悪な環境に置かれる実態が次々と暴かれるナウルで、過去に幻の移住計画が存在していたというのは皮肉なめぐり合わせだ。
またナウルと同じく気候変動による海面上昇で国土消滅の危機に直面する太平洋島嶼国にとっては、いざとなれば全国民をどこかへ移住させればよいという甘い考えが現実には通用しないかもしれないという教訓だ。
【参考記事】難民収容所で問われるオーストラリアの人権感覚
■資源収奪の責任を認めて
20世紀に入って、ナウルの豊かな資源に目をつけたオーストラリアとイギリス、ニュージーランドは、化学肥料に使われるリン鉱石を掘り尽くし、国土のほとんどを丸裸にした。
あまりの惨状に、科学者たちは1990年半ばまでにナウルでは人も住めなくなると警告した。
島の復興には途方もない費用がかかるため、残された選択肢は「全国民の計画移住」しかないと考えられた。
1962年、当時のロバート・メンジーズ豪首相は、リン鉱石の過剰な採掘によってナウルの経済発展や農業の機会を奪った責任があると認めたうえで、オーストラリアを含む3カ国は「ナウル国民が納得できる未来を差し出す明確な義務を負う」と語った。
その義務とは、ナウルの全住民が集団移住できる島を新たに探し出すか、一国もしくは3カ国が分担して住民の移住を受け入れるかの、二者択一を意味した。
同年、豪政府はナウル移住計画を策定する統括者を新たに任命し、太平洋に「有望な島」が残っていないか、徹底的に調査させた。
フィジーやパプアニューギニア、ソロモン諸島、豪州北部のノーザンテリトリー周辺海域に至るまで候補地を探したが、結局どこも不適当とされた。
十分な仕事がなく、地元住民の反対もあったからだ。
クイーンズランド州のフレーザー島も候補に挙がったが、移民を支える経済的な見通しが立たないのを表向きの理由に、政府が却下した。
実際は、林業界から猛反発があったとされる。
■カーティス島への移住計画
1963年になって、クイーンズランド州グラッドストンの近くにあるカーティス島が正式な候補地として選ばれた。
当時この島は私有地だったが、豪政府が購入し国有化したうえで、ナウル国民に対し土地を自由に保有する権利を与える計画だった。
構想では、牧畜や農業、漁業、商業などの経済活動を確立させ、住居やインフラも整備。現在の価値で2億7400万豪ドルに上る費用は、支援国が分担することとした。
だがナウルの住民は、カーティス島への移住を拒否した。
白人のオーストラリア人と同化してナウル固有のアイデンティティを失うのがいやだったからだ。
それに多くの住民は、加害者の豪政府にとって、島の完全復興にかかる莫大な費用に比べれば移住費用はたかが知れており、負担回避だと反発していた。
一方の豪政府も、カーティス島の主権放棄を拒んでいた。
ナウル人はオーストラリア国籍を取得でき、広範な自治権も付与されるが、カーティス島がオーストラリア領であることに変わりはないという立場だ。
計画はナウル国民の希望に沿う誠実で寛大なものだと自画自賛していたメンジーズ政権は、予想外の反発に苛立ち、態度を硬化させた。
結局、移住計画は幻に終わった。
2003年にこの問題が再浮上したことがある。
当時のアレクサンダー・ダウナー豪外相が、ナウルは「財政が崩壊しており、将来の発展が見込めない」と発言。
具体的な解決策として、ナウル政府に対して全住民の国外移住を再提案したのだ。
だがナウルは、オーストラリア領に移住すれば国家としてのアイデンティティや文化が失われるとして取り合わなかった。
■太平洋上の計画移住
昨今、キリバスやツバルのように気候変動による海面上昇で水没の恐れがある太平洋島嶼国に対して、「計画移住」を盛んに勧める風潮がある。
【参考記事】モルディブの海中閣議は茶番
だが、計画移住には、住民の間に世代を超えて深い心の傷を刻んできた歴史があることを忘れてはならない。
1945年、リン鉱石に目が眩んだイギリスがバナバ島の住民を半ば強制的にフィジーに移住させ、バナバ人がいまだ祖国の島に帰還できないまま今日に至っているように、太平洋の島国は強制移住による苦い過去を経験してきた。
だからこそ、そうした島国の住民にとって、島外移住というのは最後の手段でしかない。
あらゆる選択肢を真剣に検討し、丁寧な議論を尽くした末の移住計画でなければ、不幸な結果に陥るのが目に見えている。
ナウルは気候変動の影響に極めて脆弱な国だ。
リン鉱石の過剰な採掘により地表の90%で石灰石が剥き出しになっており、農業や産業を営むこともできない。
失業率が非常に高く、雇用機会も不足、民間セクターなどないに等しい。
オーストラリアのために難民収容施設を運営するだけで、何百ドルもの大金が流れ込んでくるというなら、どう考えても魅力的なビジネスだ。
だが、強制的に移送された難民がナウルに定住するのは非現実的で持続不可能だということも、この国の破綻した経済状況を見れば明らかだ。
劣悪な環境で子どもや女性に対する虐待が横行し身の安全すら確保できない収容所では、自殺を図る難民が後を絶たない。
だが豪政府は人権団体からの相次ぐ批判をものともせず、難民をナウルへ移送し続けている。
【参考記事】オーストラリア「招かれざる客」を追い払え!
脆弱なナウルは、金と引き換えに再びオーストラリアに搾取されようとしている。
ナウルの未来は、今後もオーストラリアとの不健全な相互依存関係に翻弄されそうだ。
そんななか、カーティス島の事例は、善意の有無に関わらず、「計画移住」は決して万能策ではないという教訓を示している。
The Conversation
Jane McAdam, Scientia Professor and Director of the Kaldor Centre for International Refugee Law, UNSW Australia
This article was originally published on The Conversation. Read the original article.
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NNA 8月19日(金)8時30分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160819-00000009-nna-asia
【オーストラリア】 パプアニューギニアの悲哀
初めて訪れたパプアニューギニア(パプア)の首都ポートモレスビーの町は、貧しいが一見平和な町に見えた。
滞在したホテルから1キロほど先に、ホホラ市場(Hohola Market)があるのを見つけ、夕方6時頃にぶらりと訪れると、多くの市民が集まり、農産物などを広げていた。
だが、しなびた野菜や果物をわずかに並べている程度で、買っている人はほとんどいない。
市場どころか、難民収容所という雰囲気さえある。
翌日、ホホラよりやや大きなコキ市場(Koki Market)にも足を運んでみたところ、ここはやや整然としていたが、やはり地元住民が食料品を調達する市場という雰囲気はなく、怪しげな雰囲気さえ漂う。
驚いたのは、ひと握りの黒ずんだ古いピーナツが1キナ(約32円)などと、農産物価格がとても高いことだった。
ホテルに戻り、ホホラ市場に行ってきたと男性従業員に言うと目を丸くして驚き、他の従業員と話題にしていた。
現地に住むビジネスマンらにも話すと、皆一様に青い顔になって絶句し、それら2つの市場は外国人には極めて危険な場所として有名だと呆れられた。
盗品取引場にもなっており、「襲われなかったのが奇跡ですよ」とまで言う。
彼らのひとりも町で身ぐるみをはがされたことがあり、夕方以降は外を出歩かないと言うのに、わざわざワニがうようよいる川に飛び込んだわが愚行には、目を覆わんばかりだったのだろう。
■オニオン・クライシス
現地関係者らによると、ポートモレスビーの治安の悪さはともかく、農産物価格が高いのは理由があるようだ。
昨年から今年にかけて、パプアで「オニオン・クライシス(タマネギ危機)」と呼ばれる騒動が起きたことだ。
それは、パプア政府が昨年8月に突然、タマネギやジャガイモなどの野菜や果物のほか、酪農製品の海外からの輸入を全面的に禁止したことだ。
トムスコール農業相は公式的には、あくまでも食品検閲管理上の問題と、国内の農業を保護するのが目的だと説明した。
主な野菜輸入元だったオーストラリアのクイーンズランド(QLD)州からは、年間320万豪ドル(約2億5,000万円)相当の野菜輸入が止まったという。
だがこの政策は、輸入農産物に頼り切っていたパプア国民の食生活を大混乱に陥れた。
不運にも、エルニーニョ現象による干ばつがパプアを襲ったため、国内農業保護策は実を結ばず、農産物の生産高はほとんど増えなかった。
国内のスーパーで売られる食料価格はわずか数カ月で25%も上昇し、政府は輸入規制を11月に緩和せざるを得なくなった。
世界食糧機関の最新リポートによると、パプアではいまだに20万人以上が食料支援を必要とする状態にあるという。
■オーストラリア依存からの脱却
オニール首相は、政治的にも経済的にもオーストラリア依存から脱却したい意向で、今回の輸入禁止措置は、その意思表示のひとつとみられている。
パプア国民の中にも、オーストラリアに対する、ナショナリズムが入り交じった複雑な劣等意識の存在を指摘する声は識者らの中で多い。
パプアは1975年に独立するまでオーストラリアの統治下にあり、政治行政システムも同じ体制を共有している。
いまだに行政機関にはオーストラリア人が何人もいるし、外国企業もオーストラリア人が中枢を占めている。
オーストラリアだけに、豪ドルの対キナ相場は特別レートを提供されているというまことしやかな話まであるほどだ。
昨年度のオーストラリア政府のパプアに対する政府開発援助(ODA)は5億5,000万豪ドルに上り、民間合わせた総投資額は180億豪ドルに達している。
パプアの農業が発展して痛手を受ける国があるとすると、当然オーストラリアである。
農産物の多くはQLD州から出荷されているほか、全売上高の3分の1を、パプアへの輸出や同国事業から得ているオーストラリア最大のコメ生産組合サンライスなどが打撃を受けるはずだ。
■オーストラリアが背後に?
かつて統治していた国が発展するのはいいとしても、旧宗主国にすれば、自国の産業を脅かすようには発展してほしくないものだろう。
その意味で、農業大国であるオーストラリアが、パプアの農業発展をどこまで寛容に見ていられるのか、というのは興味深いところだ。
くしくもオーストラリアは8月、キース・ピット貿易次官をパプアに派遣し、オーストラリア主導で進めている経済連携構想である「太平洋諸国経済協力会議(PACER)」への協力を呼びかけたが、パプアはけんもほろろに袖にしている。
パプアでは今年5月、オニール首相退陣を求めた学生暴動が拡大し、大きな社会問題になっていた。
「オーストラリア政府が入ってきて介入し、オーストラリアの影響力を拡大させるべきだ」――。
豪公共放送ABCはその際、反政府運動を主導する学生リーダーの声を声高に紹介していた。
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NNA 8月19日(金)8時30分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160819-00000009-nna-asia
【オーストラリア】 パプアニューギニアの悲哀
初めて訪れたパプアニューギニア(パプア)の首都ポートモレスビーの町は、貧しいが一見平和な町に見えた。
滞在したホテルから1キロほど先に、ホホラ市場(Hohola Market)があるのを見つけ、夕方6時頃にぶらりと訪れると、多くの市民が集まり、農産物などを広げていた。
だが、しなびた野菜や果物をわずかに並べている程度で、買っている人はほとんどいない。
市場どころか、難民収容所という雰囲気さえある。
翌日、ホホラよりやや大きなコキ市場(Koki Market)にも足を運んでみたところ、ここはやや整然としていたが、やはり地元住民が食料品を調達する市場という雰囲気はなく、怪しげな雰囲気さえ漂う。
驚いたのは、ひと握りの黒ずんだ古いピーナツが1キナ(約32円)などと、農産物価格がとても高いことだった。
ホテルに戻り、ホホラ市場に行ってきたと男性従業員に言うと目を丸くして驚き、他の従業員と話題にしていた。
現地に住むビジネスマンらにも話すと、皆一様に青い顔になって絶句し、それら2つの市場は外国人には極めて危険な場所として有名だと呆れられた。
盗品取引場にもなっており、「襲われなかったのが奇跡ですよ」とまで言う。
彼らのひとりも町で身ぐるみをはがされたことがあり、夕方以降は外を出歩かないと言うのに、わざわざワニがうようよいる川に飛び込んだわが愚行には、目を覆わんばかりだったのだろう。
■オニオン・クライシス
現地関係者らによると、ポートモレスビーの治安の悪さはともかく、農産物価格が高いのは理由があるようだ。
昨年から今年にかけて、パプアで「オニオン・クライシス(タマネギ危機)」と呼ばれる騒動が起きたことだ。
それは、パプア政府が昨年8月に突然、タマネギやジャガイモなどの野菜や果物のほか、酪農製品の海外からの輸入を全面的に禁止したことだ。
トムスコール農業相は公式的には、あくまでも食品検閲管理上の問題と、国内の農業を保護するのが目的だと説明した。
主な野菜輸入元だったオーストラリアのクイーンズランド(QLD)州からは、年間320万豪ドル(約2億5,000万円)相当の野菜輸入が止まったという。
だがこの政策は、輸入農産物に頼り切っていたパプア国民の食生活を大混乱に陥れた。
不運にも、エルニーニョ現象による干ばつがパプアを襲ったため、国内農業保護策は実を結ばず、農産物の生産高はほとんど増えなかった。
国内のスーパーで売られる食料価格はわずか数カ月で25%も上昇し、政府は輸入規制を11月に緩和せざるを得なくなった。
世界食糧機関の最新リポートによると、パプアではいまだに20万人以上が食料支援を必要とする状態にあるという。
■オーストラリア依存からの脱却
オニール首相は、政治的にも経済的にもオーストラリア依存から脱却したい意向で、今回の輸入禁止措置は、その意思表示のひとつとみられている。
パプア国民の中にも、オーストラリアに対する、ナショナリズムが入り交じった複雑な劣等意識の存在を指摘する声は識者らの中で多い。
パプアは1975年に独立するまでオーストラリアの統治下にあり、政治行政システムも同じ体制を共有している。
いまだに行政機関にはオーストラリア人が何人もいるし、外国企業もオーストラリア人が中枢を占めている。
オーストラリアだけに、豪ドルの対キナ相場は特別レートを提供されているというまことしやかな話まであるほどだ。
昨年度のオーストラリア政府のパプアに対する政府開発援助(ODA)は5億5,000万豪ドルに上り、民間合わせた総投資額は180億豪ドルに達している。
パプアの農業が発展して痛手を受ける国があるとすると、当然オーストラリアである。
農産物の多くはQLD州から出荷されているほか、全売上高の3分の1を、パプアへの輸出や同国事業から得ているオーストラリア最大のコメ生産組合サンライスなどが打撃を受けるはずだ。
■オーストラリアが背後に?
かつて統治していた国が発展するのはいいとしても、旧宗主国にすれば、自国の産業を脅かすようには発展してほしくないものだろう。
その意味で、農業大国であるオーストラリアが、パプアの農業発展をどこまで寛容に見ていられるのか、というのは興味深いところだ。
くしくもオーストラリアは8月、キース・ピット貿易次官をパプアに派遣し、オーストラリア主導で進めている経済連携構想である「太平洋諸国経済協力会議(PACER)」への協力を呼びかけたが、パプアはけんもほろろに袖にしている。
パプアでは今年5月、オニール首相退陣を求めた学生暴動が拡大し、大きな社会問題になっていた。
「オーストラリア政府が入ってきて介入し、オーストラリアの影響力を拡大させるべきだ」――。
豪公共放送ABCはその際、反政府運動を主導する学生リーダーの声を声高に紹介していた。
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